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About ファクトリーフラットアウト代表 高島浩史
1988 情報出版最大手 R社 入社(高卒&正社員)
名古屋マーケティング局に1993年度まで在籍
はじめは、鉄道駅売店等や書店、コンビニエンスストアほか の
R社情報誌を販売している現場店舗さまへの販促営業から始まり、
その後、主力情報誌各誌のデータベースマーケティングや、リアルタイムの
シミュレーションに基づく印刷部数決定・地域地区別の配本流通に関わり
また、販促企画責任者として、R社の情報誌に広告を
出稿されるスポンサー様の広告効果の最大化を目指して
単に、量的な販売部数UPを狙うだけではない、媒体特性・ターゲットを
マトリックスにより細分化して、効率的に相乗効果を狙う企画立案や、
車内吊りポスター、POP、チラシ制作までマーケティング全般を幅広く担当。
当時、危機的状況にあったR社の全従業員に向けて、ヤマハ経営陣が
優しく暖かい励ましのメッセージをくださったこと、未だ忘れておりません。
1989 少年時代からの夢であった、レース活動(モトクロス)を開始。
'88YZ250(2スト250,YDS Tunedのメッチャピーキーな化け物)を購入し、毎週
MXコースへガソリン20L分、転びに行く。元黒って転んでもメッチャ楽しい〜
2回だけ、中部選手権に出まして、カネ無くて、マシンはボロボロ、
プラグもピストンリングも買えず、ブロックがかなり!モゲてるタイヤで
ブレーキもスカスカでしたけど2回とも15位以内でポイントは取りましたよ!
2回目(多治見)は、ホールショットtoオーバーランで魅せました!当時は勢いで
走っていて、オーバーランした1コーナー先のジャンプをバカみたいに高く
飛んでたせいか? ぶっちぎりのドンベから、追い上げていたせいか?1コーナー
先アウト側で、観客の女の子たち2-3人?(オフィシャルだったかも?)が毎周
俺のために「ヒュー」って言いながらウェーブしてくれて、うれしかったですネ〜
雪国育ちなので、冬は小さな頃から、いつもカニ走りする
親父の車でスキーに行ったのとか、高校生の頃は新聞配達のバイトして、
ヤマハメイトで走り回り早朝の凍った路面を両輪ロックさせたまま、
真っ直ぐ走らせる練習してたのが元黒には、良かったのかも?
配達先のガソリンスタンド内が、超スベりやすくてよくこけたなあ。
新聞小僧だった皆さまも、きっと同じ経験をされていませんか?
ちなみに、ていうかまるで関係ないですけど、ウチの親父は、自分の病院の
壁にザイル垂らし垂直に登り降りして、警察呼ばれる程の山バカでしたが、
病院経営が立ち行かなくなった1991年のG/Wに穂高岳を三山縦走中、
滑落死して、私を含む家族を守りましたので、私や当社に関して何かと
業界で、おかしな噂を流してる底のあなた!口にはお気をつけ下さいね。
あなた方が流した噂で億に届く損害出てますよ。わかった?!H なオザワさん!
貴社の社員・子会社・販売店が全社的に、その無責任な噂に加担して
貴社に関係ない当社の事業と私の人生を破壊するのは、やめてくださいネ♥
ウィーブのエネルギーの急激な開放は、当社と一切、関係ありません(怒)
当社に関する嘘偽りを全社・業界に言い触らすのは会社からの指示ですか?
やっちゃったことの責任はキチンと取ってな。オ・ザ・ワ さん♥ 待ってますよ〜!
1993 '93ヤマハTZ250(* 4DP2)を購入し、本格的にロードレース活動を開始。
鈴鹿、TI、西日本選手権の西地区3選手権の完全制覇を勝手に狙うも、
西日本選手権NB250のシリーズランキング2位にしかなれず、
自分がKRじゃない事に気付き激しくがっかりする。(もっとはよ気付け!)
* 1993年型TZ250 形式名;4DP2
車体設計は北川さん(現YamahaMotorRacing,MotoGP)でしたか?
それとも依田さん(現KawasakiWorldSuperBikeTeam)?
開けるほどにリアからグイグイ曲がる、あの二次旋回のフィーリング!
めっちゃ気持ちよかったです。常に目指す車体のイメージになっています。
私、エリックさんと同じくTZフェチなんです。車体設計の絶対基準=TZ250
この年、初めて※ノバさんに、自分のTZ250のサスペンションを
メンテナンスして頂いたのが、チューンド・サスペンションとの出会いでした。
『サスでトラクションと、旋回性がこんなにも良くなるのか!』 当時、感じた
その驚きは今も忘れてません。滑らかによく動くのにしっかり踏ん張るのです。
※ノバさん
当時のヤマハワークス モトクロスマシンのサスペンション・チューナー(KYB)
今はノバUSAを設立され、AMAモトクロス・スーパークロスの常勝チーム
プロサーキットのサスチューンをされていると噂に聞いております。
ちなみに、プロサとRaceTechは、超近所に社屋があり、
リッキー・カーマイケルは、サスに関してはRaceTech育ちの選手です。
(TeamGreenではRaceTechユーザー/KRT入りしてからはワークスサス)
また、TeamGreen所属のリッキーがナショナル125で勝ちまくっていたのと
同時期、ヤマハ・KYBファクトリー契約だった"ShoweTime"こと、
ジェレミー・マクグラスのサスペンションも、中身はRaceTechでした。
実は、RaceTech創業者ポール・セッドは、ヤマハのメカニック出身なんです。
そのRaceTechは創業者ポール・セッドが会社を第三者に売り飛ばしたため
すでに、新規の製品開発が止まったようですが、90年代には、
モトクロスのみならず、ロードレースでも(例えば、スコット・ラッセルやダグ・ポーレン !)
AMAトップライダーたちの多くがRaceTechユーザーでした。
さらに、RaceTechは、数多くのサスペンション・テクニシャンを生み出しており、
RG3創業者ロバート・ヘンドリクソンも、初期RaceTechの一員で
ポール・セッドが「あいつ(↑ロブ)は最高だった!!!」と言っておりました。
1997までは、名古屋市内のレーシングチームでレース活動をしていて、
当時、勤務していたタクシー会社の向かいに、最速TZ遣いの一人であった
故・小倉直人選手が所属していた当時のIKKO RACINGのガレージが、
(↑ドノーマルTZ250デ全日本GP250予選2位,コーナー区間最速,シビレマシタ)
家から徒歩5分の近所に、プレイメイトレーシング(ヤマハワークスチーム)があって
すごい人たちが普通に周りにいて、今思えば、すばらしい環境で
(何故か、ケビン・シュワンツのワークスKYBフォークを手押しさせてもらった事も・・・)
いろいろと勉強できたのが、今、自分の財産となっております。
1999 自分の、カラダと'98TZ250でサスチューンの人体実験を開始。RaceTech
GoldValveをフロントKYB,リアOHLINSに組み込み、減衰特性のみならず、
バネレート,ディメンジョン,ガス圧,サグなど考えうる全ての組み合わせにトライ。
TZ250は、純正サスの完成度が非常に高くて、とても勉強になりました。
その後、ヤマ発テストライダー君のプライベートなレース活動を
RaceTechGoldValveによる、サスチューニングを通じてサポートすることに。
君、今MotoGPでシゴトしてるの?出世したねえ。玉には連絡ください。
2000 有限会社フラット・アウトを設立。
2007 初めて、お金を頂いてサスペンションチューニングを行い、全日本選手権
鈴鹿2&4にて、お客様が練習ベストを4秒も更新して、自分も驚く。
その後の業界の虐めはキツカッタ! "ファースト・クラス"ナンテカワイイモンデス。
でも、歯牙にもかからん奴には出来ん経験ですね!ありがとうございます。
この年初めに、アメリカのモトクロス・スーパークロスでシェアN.O.1、かつ、
世界GPロードレース最高峰でも、チャンピオン獲得(KRJR)の実績がある、
レーシングサスペンション用ダンパーピストン『ゴールドバルブ』で知られる、
RaceTech社のエクスクルーシブな日本総代理店となり、アメリカ本社にて
AMA仕込みのサスペンション技術研修を受けるとともに、国内レース界の
錚々たる方々の御協力の下、日本仕様の開発と販売網造りを行う。
2008 RaceTech事業の販社として、潟tァクトリーフラットアウトを設立。
2009 RaceTech社が契約条項を遵守しない為、日本総代理店契約を解消。
当社は、当社の裏をかく行為を行う会社とは、一切、取引しません。
そのような企図があることを当方が認識した時点で、取引終了するのが、
当社の基本的な方針です。ワカリマシタネ? [ピーッ!]シャサン&ボウバイクメーカーサン!
2010 当社が商品企画から設計開発まで行った、伸び・圧に周波数感応型の
積層シムバルブを内蔵する超小型カートリッジ=マイクロカートリッジ(FMC)を
TEAM ADACHI 様の御協力の下、生産し販売をスタート!
マイクロカートリッジをご購入いただいた チームGTMM (GMD神戸) 様が
もてぎ7耐にて、スタートから最速ラップをマークして2時間トップを独走したが
あまりにも速すぎたせいで、その後、燃費が想定より悪化し、
ガス欠のため、いったんは最下位まで後退しながらも4位まで追い上げ、
チームGTMM様から出場した3台が、4位,7位,8位に入賞。
最終号ハイパーバイク誌Ninja250R特集にて、カラー3ページ掲載される。
2011 オリジナルのダンパーピストンを設計試作。最初の試作品ながら、
RaceTechゴールドバルブの2/3ていどの積層シム設定で
ゴールドバルブ同等以上の減衰力と、よりスムーズな過渡特性、
より適切な、伸びと圧の減衰特性バランスを実現できたのですが。。。
思いがけない出来事から、当社の意に反してオリジナルのダンパーピストンの
最初の試作品と設計図は、サスペンションを製造しているグローバルな
大企業に買い取られたようです。コレッテF1デ、スパイゲートッテイワレテルアレデスカ?
ミナサン、サラリーマンナノニ、ソンナコトシテダイジョブナンデスカ・・・I'll know you,Enjoy?
そして、ほとんど何もかもを失いはしましたが、でも、あまり気にしてません。
結果として、全てを造る覚悟ができたので、(・・ドロクサク、ゼロカラハイアガリマス!
この運命に感謝していますし、現在、開発中のモノは更に高性能になり
常に、より良きものを「生み出す力」を持っていますので全然、大丈夫です!
2013 鈴鹿の最終戦 NGK杯で、当社でカワサキZX-6Rと、ZX-10Rの
リアサスペンションをチューニング(リバルビング)させていただいた
Bスクエアレーシングさまが、ST600とJSB1000でダブル優勝!
NGK杯が1000と600で開催されるようになって以来、初の快挙でした。
2014 当社で、カワサキZX-10Rのフロントとリアの純正サスペンションを
チューニング(リバルビング)させていただいたBスクエアレーシングさまが、
6/5、一回目の鈴鹿8耐公開テストで、嵐のようなヘビーウェットのなか
カワサキのファクトリーチーム:チームグリーンに続く10位をゲットし、
7/2-3開催の第二回公開テストでは小雨の降る微妙なコンディションながら
ダンロップ市販17インチスリックの、ほぼ最速タイム2分12秒8をマーク!
荒れたコンディションには、なかなか強かったのですが・・・快晴ドピカ〜ンな
予選では、同じくダンロップ前後17インチで2分10秒台のペースで走行中に
↑0:22〜0:29の前方車両は2分10秒台で走行中。ナラシ運転ジャナイデスヨ!
計測前に転んでモッタイナカッタデス・・・でも、更なるタイムアップの鍵を発見!
シャシダイ190馬力(スリップ率18%仮定で220ps以上・・・モトGP?)という
凶暴なまでにパワフルな、Bスクエア・チューンドのカワサキZX-10Rで
純正改サスペンション&Dunlop市販タイヤの限界に挑むチャレンジは続きます。
このノウハウをお客さま皆様のサスペンションに、ダイレクトフィードバック!
常に、より高いレベルで、安心して楽しく乗れるマシンを造るために
しなやかな作動性、まろやかなしっかり感、タイヤライフの向上を目指します。
2015
今は、世界最速のサスペンション・メーカー目指してるとこです。
待ってろケント・オーリン!てか、待たなくていいです。お世話になっております。
塚本さん、小畠くん、いつもありがとうございます。デモイツカオーリンスヲヤッツケルシ!
レース情報 & レースじゃない番外編(Movies and Musics and any more)
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